人間

心理学、実践心理学NLP、脳科学、潜在意識、量子力学



「弱さ」は一切のいい訳にはならない

下宿も携帯も2年契約なんだが、これまで一度たりとも2年もったことはない。これは決して私のせいではない。壊れる携帯が悪いのだ。そうだ。きっとそうなんだ・・・よ?・・・下宿は残念ながら何の言い訳も思いつかない。。。携帯ショップで身分証明として保険証出したのだけど、住所欄が修正液で何回も修正されてボロボロなもんで、携帯ショップのお兄さん一時停止したよね。そりゃね、12年で12回引っ越してますからね。
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携帯を変ました。 ついでにアイパッド(っていうのかな?大きい携帯?小さいパソコン?)も買ったら一気に部屋が機会だらけになってしまった。何を隠そう、この写真を撮っているのもアイフォンです。
世の中はどんどん便利になっていくけど、その便利さによって奪われているものもある。 今回、結膜炎になってコンタクトがどれだけ目に負担がかかるのか実感した。 ある社長さんがこんな事を言っていたのを思い出した。 「目が悪くなった人間の目を拡張させてまで、見させようとするから、肩も凝るし、頭痛くなるし、他に悪いところが出来るんだ。人間に無理をさせ過ぎなんだよ!」 この社長さん、なかなか面白い事いうな。と、思った。
そうなのだ。それがこの世の原理。物理的な便利さを生み出すことは、楽になるだけではなく、それはどこかで無理が出来るようになるということ。 人間のカラダはとても正直だからどこかを庇おうとすると、どこかに負担がかかって悲鳴をあげて教えてくれる。
これは、万事において成り立つだろう。何も物理的豊かさや人間の体に限った事ではない。誰かを救おうとすることが、誰かを傷つけることにもなる。私が書いた記事で元気になる人もいれば、へそを曲げる人もいる。
2013年3月。ブログに書いた自分への質問に「正義とは何か。」「自己犠牲と偽善の違いとは何か。」を題材にあげた。 その翌日、「簡単すぎた。」と、ブログに綴ったのだけど、それから1ヶ月もの間、これについて考えさせられる出来事が続いた。 そして心に残っているのが≪下手な自己犠牲は偽善の自己満足に過ぎない≫という事。 ≪神なき自己犠牲は自分をも他人をも幸せにせず、エゴイズムと同じ虚無に陥る≫という事。
優しさとは強さの事をいう。強さとは優しさをいう。
私は誰かを思う気持ちが、自分を強くしてくれたと思っている。
すなわち、自分の事しか考えられない人間は、弱くなるのだ。


私のツイッターより>>
僕は弱い人間だ。とかわざわざ言ってくる人いるけど。まず、そういう人は何を勘違いしてるのか。この世に強い人間がいるとでも?自分の弱さを知り、それを受け入れて強くあろうとすること。それが強く「みえる」人と、弱さを言い訳に何もしない人間との違い。弱さは一切の言い訳にはならない。