潜在意識で望みを叶える

心理学、実践心理学NLP、脳科学、人間学、量子力学、素粒子物理学



夢と成功と理想

濃く、深く、潜在意識にある自分の成功を手に入れている彼らは、沢山の浅く、広い、本当はどーでもいいもんを大量に捨てて来たんだ。そのどーでもいいもんは、この濁ってしまった世の中の常識で、殆どの人が流される「価値」。それでも流されずに、私はこれが欲しいんじゃ!と、ただただ自分を信じて突き進んだ人だけが手にとれる成功。
カウンセリング中、成功ってなんですか?って聞かれることがよくある。そして私も沢山の社長に訪ねてきた。昔の私には答えられなかったから。でも今なら「成功」が何であるか、私は、はっきりと分かる。人の成功とはなにか。きっと、皆おとなになるにつれて気付くんだ。

私の失敗は失敗をしなかったこと

子供の頃から、失敗をしたことが無かった私は、大人になって失敗を極端に恐れるようになった。だから、自ら挑戦しなくていい現状を生み出してきた。舞台でセンターになった時も、ミュージカルで準主役に抜擢した時も、彼氏ができた時も、失敗することが怖くて、ご飯が食べられなくなった。結果、私の中にいる神様は私に拒食症という病気を与えて、挑戦しなくていい現実を生み出した。私の願いは、届いていたんだ。
人の笑顔が見たい。反面、人のがっかりする顔を見る事が嫌いだった。人の期待に応えられない自分が嫌だった。ガッカリさせたくなかった。だから、死ぬほど頑張ってきた。が、頑張る事に疲れた。もう、私に期待せんといて!!!!!
期待されることへの恐怖感が募り、何にもしたくなくなった。何をしても、頑張らないといけない自分。頑張るから、余計に人が期待してくる。自分で期待される状況を生み出しておいて、逃げ出す。右手で作ったお城を、左手で壊してきた。いつもいつも。どうせ壊してしまうなら、もう何も作りたくない。死にたい。終わりにして、私の人生!!

今思えば独り相撲をとっていた、滑稽な自分である。しかし、あの頃は何故自分がこうなるのか、全く見えていなかった。

失敗してわかる、失敗の良さ

失敗は、そのままにしておくと、後悔や挑戦への恐怖となるかもしれないが、 失敗を乗り越えたとき、失敗は糧となっている事に気付くと思う。 私自身、失敗から学ぶことはとても多いと感じている。
『私は失敗などしていないよ。1万通りのダメな方法を見つけただけだ。』エジソン

夢と成功

中学校の頃、予習復習を終えた時だった。深夜0時をまわっていた。どういう訳かその時に変なことを書いたのを鮮明に覚えている。 「私には夢がありません。でも、だからこそワクワクするんです。なぜなら、夢を探す事が夢なんだ!!」
これ、おそらく潜在意識から出た言葉だったんだろうと思う。物心ついた頃からずっと、私は両親の背中を追って「中学校の数学の先生」になるのが当たり前だと思っていた。私の夢は、「親の夢」。だった。本当の私の夢は、その時、無かったんだ。

でも・・・ワクワクしていたんだって?

そう、今の時代、「夢がない」ってだけで自分の事をダメ人間だとか、つまらないヤツだとか、思い込んでしまった人たちが増えた。夢を持って生きることが素晴らしくて、そうじゃないと「成功」という言葉が手に入らないとでも思っているように見える。まあ、そうすれば人はとりあえず何かしら「頑張って」「努力」して国の経済の為に人生を使ってくれるわけだから、こういう教育方針になったのも致し方ない。

好きなことをしなきゃいけないの?

16歳の時、初めて行ったカウンセリングで「好きな事をしなさい。」と言われた。いきなりそんなこと言われても・・・私に分かるはずがない。私にとっての喜びは、親を喜ばす事だったのだから。
「もう親の為に生きるんじゃなくて、自分の為に生きなさい。」私は自分のやりたい事を見つけるために、東京へ出ることにした。東京なら、何かしら見つかる気がした。(※東京に出る理由はそれだけではありませんでしたが、ここでは省略します。)
そして出逢ったのが、ダンスだった。それから毎日、朝から晩まで踊っていた。ダンスほど、私が熱くなれるものはないって思ったし、自分にとって、ダンスは恋人だった。これもまた、「今、この瞬間」を感じられる芸術だったからだ。
しかし、ダンサーで食べて行けるのは一握りであると悟っていた。ましてや、この病気を抱えて叶うような、生ぬるいものじゃない。私は思い悩み、ある日、品川駅で出勤するサラリーマンを眺めていた。黒いビジネスバックを持ってせかせかと険しい顔でエスカレーターで上る人、降りる人。。。

「みんな、何の為に仕事してるんだろう。。。」

そんな事を考えて2時間くらい、ぼーっと突っ立っていた。それで思ったのは、自分の好きな事を仕事にするのも素晴らしいけど、自分の出来る事を仕事にするのも素晴らしいんじゃないかって。「好き」は、「好き」のままでいいんじゃないかって事だった。
私は音楽が好きだし、音楽の中で踊る事が好きだし、心が熱くなるのは変わらない。けど、だからって私はダンスをしないといけないの?踊って、私はダンスが好きだと、証明しないと、いけないの?
今まで色々なセミナーに出て、「好きならダンスしなよ!」そう言われてきたけど、これはハマりやすい落とし穴だった。本当に「好き」とは、出来なくても、叶わなくても、それでも「好き」だと、胸を張って言えること。なんじゃないかと思う。

だからね。
好きなことは、「好き」でいい。
たとえ、今は出来なくても、今は叶わなかったとしても。

もしも、出来ないから「好き」じゃない。叶わないから「好き」をやめる。それであれば、それ自体を「好き」じゃなくて、その「好き」にある「見返り」こそが本当に君が望んでいるものなのではなかろうか。

ところで私には幼馴染がいる

彼女は私と正反対の性格だった。中学の部活動も一緒で、私がキャプテン、彼女が副キャプテンをしていたんだが、動的な私に対し、静的な彼女。私は「責め」で攻撃するポジションだったけど、彼女は真逆の「受け」で相手がミスするまで粘るポジションだった。小学校から一緒にいたから、お互いの性格はよくわかってた。そんな彼女に成人式の時だったかな、会いに行ってこんな会話をしたのを覚えている。
幼馴染(K)「そろそろ、ちか落ち着いたら?波瀾万丈すぎるよ。」
私「落ち着いたら?って、うちらまだ若いよ!Kちゃんは、東京こんの?こんな田舎で何か夢あるん?」
K「いやぁ~、私はいいわ。ここで。東京とか疲れそうやし、私はここで幸せやし。」
菩薩でも降臨したのかと思った。彼女が、凄く謙虚で素敵に思えたけど・・・。
「私はこんなところで人生終わらせるなんて、まっぴらごめんだ!」そう思っていた。「こんな田舎でいては私の才能が発揮されない!」自分の才能が何であるか。知らなかったくせに、そんな事を思っていた。笑

実は私、恋愛メンタル雑魚なんです

ちょっと、今まで恥ずかしいから伏せてたんだけど、この章に必要なフレーズだから、もう、いっかっ(-_-;)て思って書きます。
私は、自分に自信がなくて、好きな人が出来ると、違う人と付き合う癖があった。(分かってくれる人いるかしら?) 小学校の頃からなんだけど、本命の人には絶対その素振りを見せなくって、カモフラージュとして違う男性を好きだと見せかけていた。「好きな人誰?」なんて友達から聞かれても、全く知らない人を指さしたりね・・・。自分でも、指さした後に「・・・誰?」って思って調べてましたもん(苦笑)今思うと、カモフラージュ的男性に申し訳なかった。
大人になってからは、自分の事を好きになってくれる人と付き合うのが一番安心できたので、そうしてたのですが、これが困った事に、どうしようもなく、自分勝手で、わがままで、すぐ嘘つくし、表面ばっかり繕う、中身のない「愛してる」を連呼する薄っぺらい男を愛してしまう、恋愛雑魚でした。
相手がダメ男であればあるほど、私が見捨ててはいけない気がしてくる。(母性本能があり過ぎるタイプ)「こんだけ人の気持ち考えられない人、私以外の女性が好きになってあげられるんだろうか・・・私が愛してあげないと、一人ぼっちになっちゃうんじゃないだろうか・・・」そんな風に思って離れられなかった。
友達のカウンセラーさんに、それ言ったら、「知佳ちゃんがいなくても大丈夫だから!!その人も30年生きて来てるんだから!死なないから!」って言われたよね。笑
結局、それに振り回されて泣くのはいつも私。向こうは私を傷つけたことなんて何とも思っちゃいないわけ。って、まー私が勝手に「いつか変わってくれるんじゃないか」ってあまーい期待をして傷ついたんだけどね!

しかし当時の私は「理想のカウンセラー」を追い求めていた

だから、恋愛メンタル雑魚な自分を「カウンセラーなのに・・・ダメカウンセラー」そう頭が罵声を浴びせてきた。その声に苦しんで、私はカウンセラーなんてもうやめたかった。そして、2年前。私は一度カウンセラーをやめたんだ。
でもね、自分が助けた人に助けられた。
「カウンセラーって、そんなに偉いの?カウンセラーだって人間でしょ?人間なんだから、失敗するよ!」
はっとしたよね。私、また完璧な理想を追い求めて苦しんでいたんだって。仕事も、恋愛も、悩むことない、バリバリやってるかっこいいカウンセラーを。

完璧じゃなくていい

人は、神様じゃないから、過ちを犯す。一時の感情に左右される。一時の感情に左右されるなと言うけど、でも、一秒一秒の感情ですら、私自身なんだ。快楽を求めて酔いしれる。それはむしろ、「今、この瞬間を」生きているということだ。 それが出来にくくなった現代だからこそ、心の病気が多発している。遊び盛りの子供の頃から「努力をさせ」て、「夢を掴め!」そんな事を聞かされて生きてきたから。そしてそれが世間一般的に見て「成功」だと教えられたのかもしれない。 確かに努力は素晴らしいけどね。 だから私は、これで良い。そう思った。(もちろん、成長してゆくよ)

失敗すら楽む

何故なら、失敗するっていう事は、まだまだ私には伸びしろがあるということ。 つまり、私の未来に成功が在る。ワクワクするじゃん!
それに失敗が出来るって言うのは、挑戦した人の特権なんだ♪最初から100パーセント成功出来るって分かっている事に挑戦することは挑戦とは言わない。

全ての人が成功者で在れる世界。100人いたら100人違う成功のカタチ

さてさて、ここでやっと私の「成功」についての見解を書くとする。(長かった・・・)
「成功の反対は、失敗じゃなくて、挑戦をしない事だと思う」といったよく聞くフレーズがあるが、これをどれくらい深く理解した人間がいるのだろうか。
それはつまり、「未来に成功を見て」、挑戦し続けることこそが成功だということではないかと考えている。
そして、たとえ今、挑戦する事が何もなかったとしても、それはそれで良いということだ。人間は、生きてりゃ何かしら壁にぶつかる。その時に、えいって挑戦すればい良いんだから。

人の人生を生きない事

成功とは、自分の人生を生きること。
だから、成功の法則なんてものは存在しないし、下手すれば、そんなものを信じて真似したら自分の人生の成功者から大きく外れる。ルールや法則性があったとしても、それは答えではない。いつも答えは自分の中にある。つまりそれは「好き」か「嫌い」かということ。
たとえ他人に嫌われようが、見下されようが、損しようが、自分の人生(行動・思考)に責任を持ち、自己正当化せず、楽しんで生き抜く勇気をもってほしい。
誰かを喜ばすために無理やり夢を作る必要もないし、見栄や体裁で何か大きな成功を残さなければいけないわけでもない。
私の幼馴染のように、周りの波がどうであれ、自分の波を大切にし、その中で起こる、自分の壁を、ひとつひとつ乗り越えて成長していく事なのではないか。

私は今、そう感じている。